近況報告

本当はすご〜い真面目な記事を途中まで書いてたんですけど、アホらしくなってきたので適当な近況報告に替えさせていただきます。

Twitterについて

本当にうんざりしている。
具体的には去年の夏頃からうんざりしている。

理由は色々あると思うけど、元々他人とうまくやっていくのはそこまで上手な方だとは思えないし、そもそも自分の個人としての実態以上に多くの人にツイートを見られるようになってしまっていたことがストレスだったのだと思う。
もちろん多くの人にツイートを見られるようになったのは自分に責任がある。最初はライフログとして、日々の出来事や個人的な「つぶやき」を中心にツイートしていたが、そのうち他人から反応をもらえることに快感を覚えるようになって、トレンドの話題に挑発的な言及をしたり、さしづめインターネット芸人のように振る舞うようになっていた。その結果がご覧の有り様だから、滑稽なことこの上ないと自分でも思う。
暇だったのだと思う。暇だととにかく自分の哲学みたいなものを考え込んでしまうタイプだし、その哲学を他人に見せびらかしたかったのだと思う。そうやって多くの共感と反感を買ってきた。
多くの人を必要なく傷つけたと思う。そう思えるようになったのも、かつて小市民としてインターネット芸人のことを唾棄していた側から、自分が攻撃をされる側の人間になってしまったことに気がつけたからだと思う。他人を傷つけた分だけ自分に返ってくるというありがたい教えを授かった。
今でも自惚れていると思う。そしてそういう自分を軽蔑しているのも事実だと思う。そうでなければこの記事は書かなかっただろうし、そもそも書く必要もなかった。

今年に入ってからもう一度本来のTwiiterに向き合うために、色々なことを試してみた。色々と周りから言われた日記もその一環だった。でもあまりうまくいかなかった。すでに周りにとっての自分はインターネットの「やぷらす」さんになっていた。何もかも遅かった。
大学の親しい友人からHNで呼ばれるのはあまり嫌悪感を感じなかった。尤も彼らと親しいからということもあるだろうが、彼らはインターネットの「やぷらす」についてあまり言及をしないでくれて、単にニックネームとしての「やぷらす」でいてくれた。
4月から研究室に入ったが、同期が研究室内で「やぷらす氏」と呼んできたとき、思わず苦い顔をしてしまった。彼にとっての僕は同じ研究室の同期である以前に、「やぷらす氏」だったんだと思うし、彼を責める資格はない。ただ、研究室の先輩や先生の前でもそう呼ぶような様子だったので、2人きりの時にそう呼ぶのはやめてほしいと伝えたのだが、その次のゼミでも「やぷらすさん」と呼ばれてしまった。自分勝手なことだと思うけど、悲しかった。
姉と僕は歳が近いこともあって、小さい頃はよく喧嘩したけど、今ではお互い良き理解者であると思っている。僕は姉のTwitterアカウントを知っているし、姉も僕のTwitterアカウントを知っている。これを言ってしまうと本人から抗議されてしまうと思うが、姉は他人への配慮がズレているタイプであると思う。僕は家庭内で自分のインターネットでの活動を完全に秘密にしていたかった(姉はそうではないらしい)し、その旨を何度も姉に言ってたはずだが、姉は(おそらく悪意はなく)僕がTwitterで他人に褒められたことを家族の前で紹介する。今でも本当にやめてほしいのだけど、そういうことも続くと自分も感覚が麻痺してきて、姉が家で「やっぴー」と呼んできても返事してしまうようになっていたし、姉とTwitterで緩やかな交流をするようになっていた。

そこまでして自分が世間に物申すようなことってあまり無いのではないか。そう思えるようになったので、ためしに5日ほど一切のSNSをやめてみたが、実際そうだった。Twitterをしないストレスよりも、Twitterで受けるストレスの方が多くなっていたし、他人にストレスを与えることもなかった。本当に素晴らしいことだと思う。
そういう試みをしているのと同じ時期にUserStream廃止という出来事があった。UserStream廃止については、すでに多くの(あまりに多くの)賢人たちが言及していると思うから、僕から説明する必要もないと思うし、それらの言及に対して肯定も否定もしたくない。ただ、少しだけみんな感傷的という範疇を超えて集団ヒステリーになってしまっているのかなと思う(この表現を不愉快に感じた方には申し訳ないと思う)。
自分もTweetbotが使えなくなって軽いパニック障害になってしまった。自分がここまで適応障害気質なのかと自覚できた一方で、UserStreamによる対話性が失われたことでTwitterの用途について冷静になるきっかけになれたと思う。自分はTwitterというチャットルームに入り浸りのネトゲ廃人だったのかもしれない。よくTwitterの代替としてMastodonが挙げられているけど、そこで得られる「かつてTwitterにあったもの」は小さなコミュニティ内での対話性くらいで、そこには発言の場を担保することによる損得勘定のジレンマがある以上、Twitterとは別の問題を孕んでいると思う。しかも、僕がいくらTwitterの変心を訴えたところでTwitterはチャットルームではないし、元々チャットルーム的なTwitterの利用にうんざりしていたわけだから、僕の問題に関していえばどこかに移って解決するものでもない。新しい喫煙所を見つけたところで、禁煙が成功するわけではないのは当然である。

これからTwitterとどう向き合うかはよく分からない。多分今まで通りTwitterを続けると思うけど、もう少しミニブログとして付き合っていくことになるんじゃないかなと思っている。そうやって少しずつ自分の人生に向き合えるようになって、ゆくゆくはSNSをやめられればベストじゃないかなと思う。
適当に済ませるつもりが思いの外長文になってしまった。本当はもっと書きたいことがあったと思うけど、心の整理をするにはこれくらいで十分だったのだと思う。

絵とか卒論とかその他の生産的なこととか

夏だからバリバリやっていきたい。相変わらずスランプ気味だし、他のやらなきゃいけないことが頭の中に残っていて、あまり筆が進まないけど、とにかくやるしかない。暇だから考えすぎてしまうだけだから、とにかく何も考えないことにする。ノイローゼになる前に色々な人に相談できてよかったと思う。